幼少期からの早期教育が原因で、「子どもの学習に対する意欲が下がってしまった」というケースを耳にします。子どものために良かれと思って始めたはずが、なぜそのような現象が起きるのでしょうか。
そこには、早期教育に取り組む際に大切にしたい考え方があったのです。
幼少期からの早期教育が原因で、「子どもの学習に対する意欲が下がってしまった」というケースを耳にします。子どものために良かれと思って始めたはずが、なぜそのような現象が起きるのでしょうか。
そこには、早期教育に取り組む際に大切にしたい考え方があったのです。
教育家・見守る子育て研究所 所長
1973年生まれ。京都大学法学部卒業。
私は学生時代から大手受験予備校、大手進学塾で看板講師として学習産業に関わってきました。
大学を卒業した後、ご縁をいただいて、社会人プロ講師によるコーチング主体の中学受験専門個別指導塾を創設し、以降18年間に渡って代表を務めてきました。
そもそも、早期教育とは0歳から6歳のいわゆる未就学の時期に行う教育全般を指す言葉です。
早期教育は、やればやるほど成果があると思われることが多く、熱心に取り組む親御さんも少なくありません。
ですが、子どもたちの脳や体の成長には段階があり、その成長段階と合わないことを無理にやると、当然ながら害が生じてしまうこともあるのです。
では、子どもの脳はどのように成長していくのでしょうか?
0歳から3歳ぐらいまでの脳は、情報や刺激をどんどん受け取り、機能も成長していきます。
脳神経細胞のシナプスが、刺激を受け、情報に触れるたびに広がっていき、広がれば広がるほど記憶容量も増え、できることも増えていきます。
これが3歳以降になると、次の成長段階に入ってきます。
シナプスの広がりだけではなく、優劣が出てくるようになるのです。
よく使う神経回路は大事にされ太くなっていくのに対して、あまり使われない神経回路は信号が通らなくなっていきます。
そして3歳以降、5歳6歳と成長が進むと、次第に頭の中が整理されていきます。
さらに7歳から10歳位の時期になると、整理された脳がもう一段階、大人の脳へとジャンプするといった仕組みになっているのです。
大人の脳へ成長することで、複数の情報を組み合わせて考える、発展的に思考する、また創造する・類推する、論理的判断を行うなどの力が段々と使えるようになってきます。
このように脳というのは、段階的に育っていくため、3歳までの情報や刺激をどんどん受け取る時期に、7歳から10歳頃で使用できるようになってくる思考力を無理やり取り入れさせようとしても、うまくいかないことが多いのです。
昔から、野山を走り回って自然の中で遊ぶ子はよく育つと言われます。これは子どもたちの成長の段階を考える上で非常に理にかなっています。
6、7歳頃までは、自然の環境の中で遊び、季節の変化やそこで感じるもので五感全体を刺激させながら学ぶことが良いとされています。
ですが、現代社会においてその理想を叶えることはなかなか難しいですよね。
その助けとなってくれるのが幼児教育や早期教育なのです。
ではこの幼児教育・早期教育と、自然の中での学びとは何が違うのでしょうか?
それは、一言で言うと「偏っているかどうか」という点です。
特定の部分を刺激し伸ばそうとする教育メソッドは、一方で、それ以外の複合的な学びを削り落としています。
際立っているからこそ分かりやすく、成果も感じやすいのですが、それは裏返して言うと他の部分の育ちが限られ、偏ってしまうことにも繋がるのです。
子どもの育ちの中心は、日常の生活体験や親子の対話、子ども自身が心を動かされるものにどっぷりと没頭する時間の中で育まれるものとなります。
ここが軸となり、それを補うように、部分的に強化するものが早期教育なのです。
つまり早期教育とは、あくまで副次的なもので、中心にはなり得ないということを意識していると、早期教育は非常に有効で成果が期待できるものとなり得ます。
大事なポイントは、早期教育の良し悪しではなく、早期教育の取り入れ方が重要なのです。
上記を踏まえた上で、いくつかの教育方法についてみていきましょう。
七田式は五感全体を刺激する学びによって、想像力や直感力、記憶力を伸ばすという教育法です。
右脳教育と言い、言語などを司る左脳的要素ではなく、イメージや感覚的な右脳直感力を刺激する学びが特徴的です。
この七田式教育を行った一部のお子さんにみられる問題点は2つあります。
まず1つ目は、左脳的な学びが抜けてしまうことです。
例えば、計算の訓練や一つ一つ手順を追って物事を進めていくこと、完全に仕上がったかどうかを点検することといった、作業要素を鍛えていく部分のことです。
2つ目は学習の訓練そのものを嫌がることがあるということです。
七田式は直感的な要素を育む学びなので、一つ一つの取り組みはあっという間に終わることがあります。
例えばフラッシュカードだと、パッと見て直感的に表現する力を鍛えます。その直感的な学びが土台になると、学ぶということは「見たら思いつきで言えば良い」「パッと見てすぐに当てれば良い」というような勘違いを子どもがしてしまう場合があります。
そのため小学校に入り、わからない問題が出てきたときに「わからない」「知らない」ということに対して過度に嫌がってしまうといったケースに繋がる危険があるのです。
これは直感的という部分にウエイトを置きすぎた弊害といえるかもしれませんね。
「学び」とは段階的に取り組むことで少しずつ理解が広がっていくものだという、踏ん張る力も複合的に育んでいけば、七田式の良い面がもっと活かせると思います。
公文式は少しずつ学習の負荷を上げていくことによって、段階的に誰でも無理なく次のステップへ進んでいける教育メソッドです。
その魅力は、今取り組んでいるプリントをもとに次のことに進んでいけるため、自学自習が進みやすいことや、スモールステップで次のことがすぐできるようになることから、褒めてもらえるチャンスに溢れていて、学習に対する安心感を育みやすいことに特徴があります。
ですが、少しずつ学習の負荷を上げ、反復学習的要素で取り組むということは、少し乱暴な言い方をしてしまうと機械的な学習になってしまう危険性も秘めています。
想像力を膨らまし、また考えを巡らせ試行錯誤して答えを導き出すのではなく、考えることをできるだけ減らし、処理できる力を高めることに特化している傾向があります。
そしてその裏返しとして、応用的な思考力は育ちにくいといった一面があります。
特にプリントを1日10枚こなすというようなノルマ制度を取り入れると、どうしてもスピード重視の傾向になりがちです。
早く終わらせたい気持ちから、適当に数字を当てはめてしまったり、確認作業を怠りケアレスミスに繋がりやすくなることに注意しましょう。
その上で、公文式は取り組んだ分だけ、必ずできるようになるという学習への信頼感を育んでくれるメソッドです。
土台となるスキルは身につくので、その力を活かして興味のあるものを深掘りしたり、気になる箇所を調べてみたりといった、総合的な学びの時間を取ることで公文式の良いところがうまく活きていくと思います。
ここまで、早期教育にのめり込んでしまうことで偏った教育になってしまうといった弊害についてご紹介しました。
分かりやすく取り組め、成果が見えやすい教育アプローチには偏りがあり、総合的な学びという視点では欠けている点があることを意識しましょう。
大事なことは、お子さん一人一人の学びの傾向を踏まえ、興味関心の方向を軸にその子の学力を伸ばしていくことです。
一概に〇〇式をやったからどうなる、というものではないということを前提にしながらも素晴らしい教育メソッドを活かしていってほしいなと思います。