子育て中は、子どもが何歳になっても悩みのオンパレードですよね。
あまりにも悩み過ぎて、ネットで検索ばかりしていませんか?
ネット上にあふれる情報に影響を受け、子どもに学ばせたい習い事や与えたいものが多すぎて疲弊してしまい、ついイライラしていませんか?
「情報に惑わされず、わが子に合った子育てをするにはどうしたら良いのか」について、【見守る子育て研究所】所長の小川大介先生にお話を伺いました。
子育て中は、子どもが何歳になっても悩みのオンパレードですよね。
あまりにも悩み過ぎて、ネットで検索ばかりしていませんか?
ネット上にあふれる情報に影響を受け、子どもに学ばせたい習い事や与えたいものが多すぎて疲弊してしまい、ついイライラしていませんか?
「情報に惑わされず、わが子に合った子育てをするにはどうしたら良いのか」について、【見守る子育て研究所】所長の小川大介先生にお話を伺いました。
教育家・見守る子育て研究所 所長
1973年生まれ。京都大学法学部卒業。
私は学生時代から大手受験予備校、大手進学塾で看板講師として学習産業に関わってきました。
大学を卒業した後、ご縁をいただいて、社会人プロ講師によるコーチング主体の中学受験専門個別指導塾を創設し、以降18年間に渡って代表を務めてきました。
令和の子育てって過酷じゃありませんか?
だれもが簡単に専門的な情報を得ることのできる現代は、逆にいえば情報過多になりがちという怖さがあります。教育に関していえば、インターネットを用いた幼児教育産業も多く、調べれば調べるほど先取り教育を急かされているようです。
令和に子育てをする親たちは混乱しやすく、子どもとの関わりの中で、ありのままの「その子らしさ」を受け入れることが困難になります。
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昔は祖父母や親戚と一緒に生活する大家族が多く見られ、子どもを見る大人も大勢いましたが、現在は核家族がほとんど。子どもが家族以外の大人を通じて得られる学びが少なくなったことで、親自身が子育ての全てを請け負わないといけないというプレッシャーを感じ、焦りや不安が生じています。
また、現在は共働き家庭が多くなり、親が子どもと直接触れ合える時間は昔と比べて非常に少なくなっています。
つまり、昔と現在では、子どもを育てる親の環境が大きく異なるのです。
「昔と比べ、今は兄弟姉妹も少ないのだから楽なはず」という声も聞きますが、それは本当なのでしょうか。
子どもの数が多いと手が回らなくなることで、必然的に細かいことを気にしていられない“サバサバとした子育て”となります。しかし子どもが1人や2人の場合は、細かいところまで目が行き届き過ぎてしまうがゆえ、全力で子どもと向き合おうと頑張ってしまうのです。だからこそ大変になります。
子どもの幸せを想うあまり、子どもに「将来の幸せに直接つながりそうなもの」を与えすぎ、詰め込み過ぎてしまうのです。
とくに都心部に住む親は、「子どもが『学歴的な安全ゾーン』で成長しているという安心感を早いうちから得たい」という思いが強い傾向があり、その結果、小学校受験や中学受験がヒートアップし続けています。
令和に子育てをしている親たちは、わが子の将来が怖い。子どもに特別な教育訓練の機会を何も与えずに、子どもを自然にまかせてすくすく育てるなんて、大半の親は怖くてできないのです。受験をさせたいというわけではなく、受験をさせる以外の手立てが分からなくなっているのかもしれません。
本当は、ただただ子どもをのびのびと遊ばせてあげたい。いろんな体験を、日常の中で自然に触れる中で自分で気づいてほしい。そんなことを、本当はみんな願っていますよね。でも待てない。あれやこれやと手をかけた子育てによる安心を得たい。これが現代の子育てをしている親の本音です。
子どもの幸せを願うための行動が、知らず知らずのうちに、親自身や子どもを惑わせ、時に苦しめている。
これまで6000人以上の子どもと向き合ってきた経験や、そして自分自身も子を持つ親として、親御さんたちが抱えるこうした苦しみについては日々実感しています。
子どもたちの過剰な習い事や学習の強要によって、むしろ成長が止まってしまい、芽が摘まれる子どもが多くいるという現実を私は知っているだけに、令和の子育ての現状を危惧しています。
勉強や習い事を通して子どもの得意不得意が見えてくるものですが、そうした子どもの特性に注意を払うことなく、闇雲にやらせる一辺倒となってしまえば、失敗体験や傷つく体験を膨らませるだけになりかねません。子ども本人の力が発揮される前に、子どもが持つ可能性が途絶えてしまうことが起きてしまう恐れがあるのです。
本来子どもは、教え込まれることより、日常の中で出会う刺激によって成長することのほうが、はるかに大きい。つまり「子どもは勝手に育つ」のです。では、その勝手に育つ子どもたちを、周りの大人はどのように支えればよいのでしょうか。
それは、子どもが何に刺激を受け、何に興味を示しているのか、まずはしっかりと子どもを「見る」ことです。見て、理解した後、 どういうことをして「守って」あげることができるのかを考えること。“見守る”ということは「見て」から「守る」ということなのです。
ここで大切なことは、子どもが好きなようにしているのを、“ただ眺めている”だけでは「見守る」ではないということです。自分がどのような距離感で守ろうとするのか、自らの関わり方を意識することなく、ただ子どもの姿を眺めているのは「放置」でしかありません。
例えば、子どもが走り回っている場所が、電車の中やお店の中だったら、責任ある親なら当然、まずは子どもが走るのをおしとどめるでしょう。
”電車やお店の中という他の人々と共有する場では、走ってはいけない”ということを教えないことは、社会で生きていく力を奪っているのと同じです。親にはわが子の社会性を育む責任がありますから、子どもの好きにだけさせておくわけにはいきません。
こうした場合は、「走りたいんだね。じゃあ公園に行ってから思いっきり走ろうか」と、一度子どもの走りたいという気持ちを受け止めてから、電車やお店の中では走ってはいけないことを教えるといった具合に、教えるべきことは教えつつ、本人の走りたいという気持ちはそれとして大切にしてあげる。これが「見守る」ということです。
このように「見守る」ということは、観察することも考えることもたくさんあるため、思い立っただけですぐにできるようになることではありません。練習が必要です。人は自分が見たいようにしか見ることができないので、思い込みなどが邪魔をして、目の前にいる子どものありのままの姿を「見る」こと自体がすでに難しかったりもします。
ですから繰り返し、時間をかけて「見る力」を養っていくことが大切なのです。そして、子どもをよく「見る」ことを続けていくなかで、その子自身がどういう特性を持っていて何が得意で、どういった応援をしてあげると頑張りやすいのかという「その子らしさ」を、理解できるようになるのです。
子どもの特性の見つけ方や、その特性をどのように捉え、どのように解釈するかは知識とスキルが必要です。親自身が持つ固定概念や先入観から抜け出し、客観的な目で見ることが求められます。
子どもの生育は一人ひとり違います。一律の教育を押し付けてうまくいかないのは当然です。一方的に押し付けるのではなく、子どもの才能やタイプに応じた支え方を見つけていくのです。そうすれば、早いうちに成功体験を持たせて、主体的な学びに導くことができます。
令和の時代の子育ては、親自身が自分の目で子どもをよく観察し、子どもの成長を”見守る子育て”が求められるのです。いち早くわが子への理解を深め、望ましい関わり方をつかむことで、情報に惑わされず、わが子に合った子育てが実現されていくことでしょう。
「見守れる」親になるのは才能ではありません。練習をすれば、徐々に身についていくものなので、焦らずに子どもと向き合ってほしいと思います。