こんにちは、小川大介です。
今日は、僕がずっと大切にしてきた「親バカの力(ちから)」について、改めて深く掘り下げてお話ししたいと思います。
「親バカ」という言葉は、世間では少し照れくさい意味で使われることが多いですよね。
「うちの子、すごいんですよ」と目を細めて話す姿を、ちょっと微笑ましく、ちょっと苦笑いしながら見守る──そんなニュアンスで。
でも僕は、30年間、8,000組以上の親子と向き合ってきて、確信していることがあります。
「親バカ」は、子どもの才能を伸ばすために絶対に必要な「能力」です。
気質ではなく、能力。つまり、訓練で身につけられる価値あるものです。
なぜ僕が「親バカ」を能力と呼ぶのか。それを理解していただくには、親バカには三つの段階がある、という話をしなければなりません。
この三段階を、日本の武道や芸事で古くから使われてきた「守破離」という概念と重ね合わせながら、説明したいと思います。
第一期「守」── 誰もが無条件に親バカだった頃
お子さんが生まれた瞬間のことを、覚えていますか。
寝ているだけで「天使だ」と思った。おくるみの中で手をぎゅっと握り返してきただけで、涙が出そうになった。寝返りをしただけで大騒ぎして動画を撮り、笑っただけで「天才かもしれない」と本気で思った。
あの頃、誰かに「よその子と比べてどうですか?」と聞かれても、そもそもその質問の意味がわからなかったはずです。比べる必要がなかった。目の前のこの子が、この子であるだけで、毎日が奇跡のようだった。
これが「親バカの第一期」です。
武道の「守」と同じで、親という役割に自然と入り、本能と愛情に導かれるままにわが子を見つめている段階です。教わらなくても、自然に「型」ができている。
ただし、ここには一つの特徴があります。武道や芸事の「守」は師匠のもとで意識的に型を学ぶものですが、親になることには師匠がいません。誰にも教わらないまま、本能だけで「守」をやっている。このことが、次に来る「破」の段階で大きな意味を持ちます。
第二期「破」── 親バカが壊れる
子どもが2歳を過ぎた頃から、少しずつ世界が変わり始めます。
公園で同い年の子がもう二語文を話している。お友達はスプーンを上手に使えている。児童館で走り回るわが子を横目に、おとなしく座っている子を見て、「うちの子は大丈夫だろうか」とふと思う。
最初はほんの小さな影でした。
それが幼稚園、保育園に入ると加速します。
「○○ちゃんはもうひらがなが読める」
「△△くんは数字がわかる」
小学校に上がれば、テストの点数という明確な数字がやってきます。習い事を始めれば、進度が目に見える形で突きつけられます。
そしてSNS。
よその家庭の「うまくいっている子育て」が毎日タイムラインに流れてきます。
気がつくと、わが子より先に「よその子」のことが気になっている自分がいる。
これが「親バカの第二期」です。
第一期であれほど自然にできていた「この子をこの子としてまるごと見る」ということが、できなくなっている。わが子を見ているつもりで、わが子と世間の距離を測っている。
本来の「守破離」における「破」は、型を自分の意志で意識的に超えていく能動的な段階です。しかし、多くの親がここで経験するのは「自分から型を破る」ことではなく、「外からの情報や不安に型を壊される」という受動的な経験です。
壊されるから、苦しい。
自分が親バカでいられなくなっていることに、実はうすうす気づいている。
「この子のために」と言いながら、自分が安心したいだけなのかもしれないと感じている。
でも、どう戻ればいいかがわからない。壊された型を直す方法を誰も教えてくれない。
だから多くの親御さんは、この第二期で長い時間を過ごします。
情報を集めれば集めるほど不安が増え、頑張れば頑張るほど子どもとの距離が開いていく。
その苦しさの正体は、「親バカでいられなくなった自分」への喪失感なのだと、僕は思っています。
その前に──「●●親」の正体を考える
ここで少し横道にそれますが、大事な話をさせてください。
世間で「●●親」(※自粛して伏せ字にします)と呼ばれる人たちがいます。
子どもが公共の場で騒いでも注意しない。人に迷惑をかけても「子どものやることだから」と開き直る。
注意されれば逆ギレする。「親バカ」ではなく「●●親」
この人たちは、第一期の親バカから一歩も進んでいません。
ただし、ここはより正確に表現したほうがいいので説明しますと、●●親は第一期の「愛」を保持しているわけではありません。第一期の「視野の狭さ」だけを保持しています。
第一期の親バカは、視野は狭いけれど、目はまっすぐわが子に向いていました。この子が何をして、何を感じて、何を求めているかを、一生懸命に見ていた。
●●親は違います。「うちの子は悪くない」と言うとき、その親は子どもを見ていません。
子どもの姿を見つめた結果としてその言葉が出ているのではなく、自分が否定されたくないだけの反射です。子どもの内面にも、周囲の状況にも目が届いていない。
つまり、子どもは5歳、8歳、10歳と成長しているのに、親としての視野が0〜2歳のまま止まっている。親としての成長が第一期で停止しているのです。
これは「親バカの誤用」とでも言うべき状態で、本当の親バカとは似て非なるものです。
第三期「離」── 意識的に親バカに還る
話を本筋に戻します。
第二期で壊された親バカは、自然には戻りません。
「もっと子どもを信じよう」と気持ちだけで思っても、次の日にはまた不安に引き戻される。その繰り返しを経験した方は多いのではないでしょうか。
では、何があれば戻れるのか。
わが子を「理解する」ことです。
「理解する」というのは、「うちの子はこういう性格だ」となんとなく感じている状態のことではありません。
この子はどういうふうに世界を受け取っているのか。どんなときにエネルギーが湧いて、どんな状況でしぼむのか。情報をどう処理して、何がきっかけで動き出すのか。
その子固有の「才能の形」を、知識と観察に基づいて具体的に把握できるようになるということです。
才能タイプがわかると、見え方が根本から変わります。
「なんでこの子は言うことを聞かないんだろう」が、「ああ、この子は耳からの情報より目からの情報で動くタイプだから、口で言うだけでは届かないんだ」に変わる。
「どうしてこんなに時間がかかるの」が、「この子は一つのことを深く味わうタイプだから、速さを求めること自体がこの子の才能を殺しているんだ」に変わる。
すると、比較が意味を失います。
よその子がどれだけ早くできても、「うちの子にはうちの子のやり方がある」と確信を持って思える。
第一期のように、ただ無条件に「かわいい」ではありません。
根拠がある。
「この子の才能の形を知っている。だから大丈夫」と言える。
この状態が、「親バカの第三期」です。
「離」です。型に戻るのではなく、型を超えた先にある自由。
本能ではなく、知識と経験と観察に裏打ちされた、どっしりと根を張った親バカ。
第一期の親バカが本能だったとすれば、第三期の親バカは能力です。
能力だから、訓練で身につけることができます。そして一度身についたら、状況が変わっても応用が利きます。
第三期の親バカは「揺らがない」のではなく「戻ってこられる」
ここで一つ、正直にお伝えしておきたいことがあります。
第三期に到達した親が、もう二度と不安にならないかというと、そんなことはありません。
受験期には揺らぐし、思春期に子どもから冷たくされれば動揺します。
それは人間として当たり前のことです。
でも、第三期の親バカには「帰る場所」があります。
「この子の才能の形を知っている」という足場があるから、揺らいだ自分に気づいて、戻ってこられる。
第二期で壊された親バカには戻り方がわからなかったけれど、第三期の親バカには自分で立て直す力がある。
この違いが、決定的なんです。
あなたは今、どの段階にいますか?
ここまで読んでくださった方は、おそらくご自身がどの段階にいるか、なんとなく感じているのではないでしょうか。
「子どもに関する情報は色々見ています。才能タイプという考え方も面白いと思います。でも、自分の子育てが第二期にいるのか第三期に近づいているのか、よくわかりません。」
そういう方にお伝えしたいのは、一つのシンプルな問いかけです。
今日、わが子を見て「この子は大丈夫」と心から思えましたか?
もし思えたなら、あなたはすでに第三期の入口にいます。
もし「大丈夫だと思いたいけれど、本当は不安だ」と感じるなら、あなたは第二期にいます。
そして、それは何も恥ずかしいことではありません。第二期にいることに気づいているだけで、すでに第三期に向かう準備はできています。
ただ、気づいているだけでは、第三期には到達できません。
僕がこれまで8,000組以上の親子を見てきた中で、はっきりとわかったことがあります。
第二期から第三期への移行は、「気持ちの問題」では起きません。
わが子を理解する「具体的な方法」を持ち、それを実際に使いこなせるようになって初めて起きる変化です。
「もっと信じよう」と思うだけでは戻れない。
「この子はこういう才能の形を持っているから、ここを見ればいいんだ」とわかって初めて、親バカに還れるのです。
才能タイプ子育てが「第三期への道」になる理由
才能タイプ子育てを知ることは、第三期への扉を見つけることに似ています。
まず自分自身の才能タイプを知ると、「なぜ自分はこういう反応をしてしまうのか」がわかります。
子どもにイライラする場面の多くが、実は自分のタイプと子どものタイプの「違い」から生まれていたと気づく。
自分を責めなくてよかったんだと、肩の力が抜ける。
そしてわが子の才能タイプを知ると、「この子のここが才能だったのか」と目が開きます。
問題だと思っていた行動が、この子の才能の現れだったと気づいたときの驚きは、多くの親御さんが「人生が変わった瞬間」と表現されます。
才能タイプ子育て実践サロンに参加されている方の中には、すでにこの気づきを経験されている方も多いと思います。
インスタライブやサロンの交流で「才能タイプで見ると、うちの子のあの行動はこういう意味だったんだ」と腑に落ちた経験があるのではないでしょうか。
でも、ここで一つ、率直にお聞きしたいことがあります。
その気づきは、日常の中で「できる」に変わっていますか?
知識として「子どもの才能タイプはこうだ」とわかっている。頭ではわかっている。
でも、朝の忙しい時間に子どもがぐずったとき、テスト前なのに全然勉強しないとき、ぱっと目の前のわが子を才能タイプの視点で見られているか。それとも、つい以前の反射的な声かけに戻ってそのまま気持ちが立て直せないか。
「知っている」と「できる」の間には、体験という橋が必要です。
知識は第三期への地図をくれます。でも、地図を持っているだけでは目的地には着きません。
実際に歩いてみて、迷って、修正して、「ああ、こういうことか」と体で覚えて初めて、第三期に「到達」できる。
「親にだけ教室」は、この橋を4ヶ月かけて渡るためのプログラムです。
自分の才能タイプを深く掘り下げ、わが子の才能タイプを日常の中で観察し、「この場面ではこう関わる」を繰り返し試して、うまくいかないことも、僕のフィードバックを参考に捉え直し、また試す。そのサイクルを4ヶ月間続けるから、知識が体に染み込み、「できる」に変わります。
受講を終えた方が口を揃えて「子育てがラクになった」とおっしゃるのは、子どもが急に変わったからではありません。
親が第三期の親バカになったからです。
わが子を自分の目で見て、自分で判断できるようになった。もう誰かの正解を探さなくていい。
その安心感が「ラク」の正体です。
親バカは、取り戻せる
最後にもう一度、整理させてください。
第一期の親バカは、本能です。誰もが通る、愛情に満ちた原点。
第二期は、その親バカが壊れる時期です。比較と不安と情報の洪水に、「この子を信じる力」が削られていく。
ほとんどの親がここで長い時間を過ごします。
苦しいのは当たり前です。苦しいということは、まだ親バカでいたい気持ちが残っているということだから。
第三期の親バカは、能力です。
わが子の才能の形を理解し、自分の目でわが子を見つめ、揺らいでも戻ってこられる力。訓練で獲得でき、一度獲得したら一生使える、親としての最も大切な力。
あなたが今どの段階にいても、第三期には到達できます。
才能タイプという考え方に出会ったこと自体が、もうその旅の始まりです。
あとは、知識を「できる」に変える体験を積むだけ。
あの頃の親バカな自分に、もう一度会いたくありませんか。
今度はもう壊れない、もっと強く、もっと温かい親バカとして。
才能タイプ子育てを4ヶ月かけて「できる」に変える「親にだけ教室」の詳細はこちら
